ブルーズ=私小説説

ダスト・マイ・ブルーム~ザ・ヴェリー・ベスト

前回の記事でふれたとおり現在何の因果かブルーズ漬けの毎日を送っています。

ブルーズにとって歌詞が中心に据えられていることは何となく気付いてはいました。
少しばかり立ち入って調べていくうちにそれは間違いの無いことなのだとわかりました。

ただ歌詞の内容というものがふだん耳にしている歌謡曲やポップスのそれとはかなり様相が違う物なのに戸惑いを感じています。


ロバート ジョンソンの詩にはしばしば人物名などの固有名詞が登場します。
前回にふれた「クロス ロード ブルーズ」を例にとりますと

 "Have mercy now save poor Bob if you please"
 「神様どうぞこのかわいそうなボブを助けてください」
と助けを乞うているボブ(ロバートの愛称)とはロバート ジョンソン自身のことです。

 "tell my friend Willie Brown"
「友達のウィリー ブラウンに伝えておくれ」
ここに歌われているウィリー ブラウンと言う人物も架空の人物ではなく、実際にロバートの友達であった実在のブルーズ メンであるウィリーのことです。


一般的に耳にするポップスでは、歌詞の中に登場する人物はモデルにあたる人がいるにしても詩のなかでは想像された架空の人物です。

実際に友達を想定して歌ったにしても「ウィリー ブラウン」は歌詞の中では仮に作られた人物として登場するのが普通です。

しかしながらロバート ジョンソンがここで歌う「ウィリー ブラウン」は歌詞の中で一般化された友達ではなく、ロバート ジョンソンが実生活の中で付き合っている生身の「ウィリー ブラウン」のことに違いありません。


歌詞の中で歌われる情景やストーリと言う物は聴き手に感情移入を促したり、その詩を個人の物から不特定多数の人の物へと一般化するためにフィクションの形をとるのが普通です。

ですがロバート ジョンソンがブルーズで歌う詩は彼の人生そのものであるわけです。


したがって、彼のブルーズは本来ロバート自身にしか歌い得るものではなく、他人が歌うことは全く想定されていないものだと言えます。


私はロバート ジョンソンのブルーズを歌いたいというミュージシャンのためにその監修を請け負っているわけですが、ここにきてハタと行き詰まりました。

 「他人がロバート ジョンソンのブルーズを歌うことに何の意味があるというのだ」



「クロス ロード ブルーズ」がいく人ものミュージシャンによって歌われていることは良く知っています。ためしにエリック クラプトンの歌っている「クロス ロード ブルーズ」を調べてみました。

 "save poor Bob if you please"のくだりは
 "Save me if you please."
ボブと言う固有名詞が私と置き換えられていました。

"tell my friend Willie Brown"はと言うとそのままウィリー ブラウンのまま歌っていました。

おいおいエリック、あんたウィリーの友達じゃないだろう
 なんて突っ込みの一つも入れたくなる私は大阪人


さて、どういう具合に彼の人生の詩であるブルーズを他人が歌うべきか。
 役者のようにロバートになりきって歌うか
 あたかもロバート自身がフィクションのように歌うか
 クラプトンのようにあいまいな態度で歌ってしまうか



だいたいブルーズなんて黄色い21世紀の人間が歌うなんてどだい無理なんじゃぁ……

困っているわたくしめでございます。


     おそまつさま。






私は結構エルモア ジェイムズの歌声が好きなんですけど、そういや彼の代表作になっている「ダスト マイ ブルーム」ってロバートの歌でしたなぁ。





2008年03月04日 ブルーズ トラックバック:0 コメント:6