アンドリュー ヒルもまた



いつも楽しく拝見させていただいているぬどいさんのブログを見ていてアンドリュー ヒルがなくなったのを知りました。

日本では人気という面ではかなり低い人であったかもしれませんが、個人的には大好きなピアニストでした。個性的であるということでは広いジャズの世界でも有数のミュージシャンであったと思います。

ジャズ批評での2006年の個人的なベストアルバムには上記の"Time lines"を選出させていただきました。久々のブルーノートでの新作は70を過ぎても全く衰えることの無い快作で文句無くベストアルバムの名に値すると感じたからです。

しかしというか情けないというか、このアルバムもまた日本盤が発売されませんでした。東芝EMIもみる目が有りませんなぁ。ジャズに対する愛情に欠けているような気までしてきます。セックス ピストルズの歌でも歌いたい気持ちです。

かなり個性的ですが、かって損はしない快作です。私が太鼓判を押します。ただし、万人向きとは言いかねるのは事実です。頭の固い爺様には手ごわいと思います。大きく開かれたジャズ観をお持ちの方にお薦めします。

私はアンドリュー ヒルの音色と共にゆらゆらとゆれるタイム感覚がたまらなく好きです。一人でも多くの方が彼の魅力を感じてくれたらなと思います。

話は少し古くなりますが、日本で第一回目のブルーノートジャズフェスティバルが開かれた際にアルフレッド ライオンが是非にとアンドリューを連れてきたのには大いに驚きました。

しばらく考えてモンクのユニークなタイム感覚を愛したライオンだからなぁ、と、一人納得したものでした。


彼の独特の個性をより一層味わうためにはソロというフォーマットが似つかわしいように思います。



個人的にはこのフランスの果てで録音されたソロライブ盤を愛聴していますが、またまたアマゾンではとんでもない値がついていますなぁ。良い子の皆さんはこんな値段で買っちゃだめですよ。根気良く探せば中古で2000円までで何とかなるんではないでしょうか。


彼をしのんで"Time lines"をかけながらこのブログを書き始めたのですが、1曲目にかかった曲がレクイエムのように聴こえてハッと胸を衝かれました。

その曲の名が聖書の預言者の名前"Malachi"であったのはなんとも出来すぎな感がしました。

2007年04月25日 埋もれたCD紹介 トラックバック:0 コメント:16

ただし(BlogPet)

silverは上記へ録音しなかった。

いつも楽しく拝見させていただいているぬどいさんのブログを見ていますなぁ。
良い子の皆さんはこんな値段で買っちゃだめですよ。
根気良く探せば中古で2006年の個人的には上記の"T i m e l i n e s"を選出させていただきました。


日本では人気という面ではとんでもない値がついていてアンドリュー ヒルの音色と共にゆらゆらとゆれるタイム感覚を愛したライオンだからなぁ、と、一人であったと思います。




個人的には手ごわいと思います。
ただし、万人向きとは言いかねるのは事実です。
silverが太鼓判を押します。




個人的にはこのフランスの果てで録音されませんが、またまたアマゾンではないでしょうか。



彼の独特の個性をより一層味わうためには手ごわいと思います。


ジャズ批評での200円までで何とかなるんではかなり低い人でも歌いたい気持ちです。


しかしということでは広いジャズの世界でも有数のミュージシャンであったかもしれませんでした。
東芝E M Iもみる目が有りませんが、1曲目にかかった曲がレクイエムのように聴こえてハッと胸を衝かれました。



彼をしのんで"T i m e l i n e s"をかけながらこのブログを書き始めたのには上記の"T i m e l i n e s"を選出させていただいているような気までしていますが、またまたアマゾンではかなり低い人であったのはなんとも出来すぎな感がしました。


日本では広いジャズの世界でも歌いたい気持ちです。


かなり個性的ですが、個人的なベストアルバムには大好きなピアニストでした。
久々のブルーノートジャズフェスティバルが開かれたジャズ観をお持ちの方にお薦めします。
ただし、万人向きとは言いかねるのは事実です。
silverが太鼓判を押します。


ジャズ批評での新作は70を過ぎても全く衰えることの無い快作で文句無くベストアルバムの名が聖書の預言者の名前"M a l a c h i"であったと思います。




個人的には手ごわいと思います。
ただし、万人向きとは言いかねるのはなんとも出来すぎな感がしました。
個性的であるというか情けないということではかなり低い人でも有数のミュージシャンであったのにはこのフランスの果てで録音された際にアルフレッド ライオンが是非にとアンドリューを連れてきます。
セックス ピストルズの歌でも歌いたい気持ちです。
一人納得したものでした。
東芝E M Iもみる目が有りませんでした。




*このエントリは、ブログペットの「silver」が書きました。

2007年04月20日 blog pet トラックバック:0 コメント:0

動物園であるジャズの体験を思い返していた

20070418023924.jpg



動物園でパンダが食事をしているところを見ていると、ふとジャズを聴いていて体験するある種不思議な経験を反芻している自分に気が付きました。



この間のメルマガにも書いたことなのですが、昔の私はジャズの解説やライナーというものを頑なに遠ざけていた時期がありました。

人の意見を眼にしてしまうと自分自身がその曲を聴いて感じることがマスキングされてしまうように思っていたからです。最悪の場合、自分が感じるはずであった音楽に対する感動が汚れてしまって、取り返しのつかないことになるのではと恐れていました。

音楽はその音楽の中にこそ意味があり、不用意な知識は音楽に対する妨げになるのではと考えていました。

今でも、ある程度まではそのことは正しいことだと思っています。


ただ、現実には純粋に音楽を標本のようにとらえて客観的に聴くことなど出来はしません。

楽しい気分の時にはそのときに聴きたいものがあり、夜には夜の朝には朝に聴きたい音楽があるのが人間としては普通だと思います。

ようは、録音された音楽は動かないにしても、鑑賞する側の当人はゆらゆらと揺らいでいるわけです。

純粋に音楽を鑑賞することなどとても出来る筈はありません。



演奏された音楽というのはそこで完結しているのだから他の音楽と関連付けて聴くなんて事は意味のないことだと思っていました。

「だれだれの演奏は何某の影響をふんだんに受けている」なんてことに意味があるとは考えていませんでした。

だってジャズを聴き始めた人が歴史的な順番にジャズを聴いていくわけではないじゃないですか。チャーリー パーカーの演奏を聴いて「この人はフィル ウッズの影響を受けているなぁ」と感じても至極当然な気がします。

結局のところ人は今現在のうちに聴こえている音楽を楽しむことしか出来ないのではないかと考えていました。

ここでも純粋に客観的に音楽を捉えて鑑賞しようと、さかしらに考えていた自分がいました。

一年前の自分と一年分の経験をした今の自分、昨日の自分と今日の自分が異なるということに気が付かない浅はかな私がいたわけです。

また、音楽は動かなくても自分は揺らいでいるわけです。

まぁ、高校生の頭で考えることなど高が知れていたというわけでしょう。今現在の私もそれほどかわりばえがするとも思えないのが悲しいですが。



今となっては、ジャズを聴きはじめたころの私がどんな具合にジャズを感じていたのかは全く思い返せなくなっています。



二十五、六歳のころだったっと思うのですが、それまでジャズを聴いていて感じたことのない経験をしました。

それまでそんなに好きだとは思っていなかったコールマン ホーキンズを聴いていたときのことです。ホーキンズのテナーの音に耳を傾けていたときに不意にロリンズの演奏が同時に聞こえ始めました。と思う間にベン ウェブスターやアーチー シェップ、コルトレーンやアイラーまでもが聴こえてきたのです。

なんとも表現しにくいのですが、ちょうどパラレルワールドが一編に認識されるといったような感じがしました。

それ以来いつもいつもそんな具合にホーキンズの演奏が聴こえるという事はなく、しばらくの間はそんなことは全く起こりませんでした。何か狐につままれたような気分がしました。


変わっていくのは自分だけではなく音楽そのものも動いているのだということに気が付きました。自分自身にも経験や体験があるのと同じ様に音楽もまた経験や体験があり揺らいでいる物だと知らされました。



今は時々そんな瞬間がやってくるのを楽しんでいます。時を経るにしたがって音楽に聞き取れる重層的な世界も増えていっているようです。



今までこの体験のことはほんの数人の方にしか話をしたことがありません。

私のことを変なやつだとお思いになるかもしれませんね。
もともとそう思っていらっしゃるから平気かもしれないですね(笑)。




パンダが笹を食べているのを見ながらずっとこんなことを考えていました。


2007年04月18日 象をなでながら考えるJAZZ トラックバック:0 コメント:2

またもや飲んだくれております




先週に引き続きこの間の土曜日にもお花見に京都の宇治へと出かけました。私にしては頑張って早起きして出かけたのですが、京阪の宇治駅に着くとあいにくの雨でした。

雨が降っていてはせっかくリムスキーの作ってくれたお弁当を広げるわけにもいかずにどうしようかと思ったのですが、少しばかり様子を見ればやみそうな気配もあるので待つことに。

近所を見渡すとサイゼリアがあるのでこれ幸いと二人で駆け込みました。サイゼリアでこの酔っ払いコンビがおとなしくドリアやパスタを食べるわけもありません。

年に数度しか行く事は無いのですがこのサイゼリア洋風居酒屋使いにもなかなか好都合なのです。しかも真昼間から開いています。ただし、子供連れのご家族や、ドリンクバーにたむろする中高生の目を気にしない強靭な精神が必要ではあります。

何がすごいといってこのサイゼリア、テーブルワインとはいえマグナムボトルがたったの1060円であります。味も少しばかりペラペラなのを我慢すれば及第点です。繰り返しますが、なんといっても1.5リットルで1060円であります。

いつもならば、迷わずにマグナムボトルを注文するところをグッとこらえて、500mlのデキャンタを頼みます。後はプロシュートに小エビとブロッコリのサラダ、そしてオリーブオイルを持ってきてもらいます。

このプロシュートにはホカッチャのちいさいやつが二つ付いてくるのですがこれがなかなかの美味です。

ワインでいい気分になっていると外の雨がやんできたようなので、支払いを済ませて中ノ島公園へ。お勘定はしめて千百と数十円なり。


20070410215522.jpg


上にごらんいただけるのがその中之島公園の桜の様子です。お天気はちょっと残念ですが桜の咲き具合はほぼ満開でした。

商店街で仕入れたお造りとくじらのミンチかつにリムスキーのお弁当、そして伏見のお酒玉の光純米吟醸。ご機嫌であります。

小さなアンプ内臓の携帯スピーカーとipodを持参しましたので森高千里をかけようとしたのですが、ここでリムスキーがダメ出し。

どうやら森高はお気に召さないようなのでちあきなおみをかけようとするとまたダメ出し。  
まったく、いったい何がダメなんだよ。
唄に貴賎はあるまいに。

ちらとシェリル クロウがしっくり来るんじゃないかと鳴らそうとして……   ええいっ、ここはベタでいくかとカザルスの無伴奏チェロ組曲。

いやぁ、ちょっと恥ずかしいぐらいに桜にドンピシャリ。

無伴奏にさくら  よろしいなぁ。



私達の目の前に大学生の合コンらしき花見客がいたのですが、いやまぁ若い若い。

若干女性のほうが多い十数人の団体でしたが、アルコールも入って異性を意識しながらくりひろげられるうたげ。

見目麗しき人もいれば十人並み、
なにくれとなく他人を気遣う者、全くの無頓着な者
自意識にふりまわされている者やおっとりマイペースな者

うーん、見ているだけでこちらの顔が赤くなりそうで



4号瓶がきれいになくなり、雨も強くなりだしたところでここはおひらきに。

京阪の宇治駅にとってかえして中書島より伏見桃山へ。

ここいら周辺はまさに伏見の酒蔵が立ち並ぶど真ん中あたりに位置します。東京あたりでは江戸時代に船便で酒が下った都合上灘の酒が今も珍重されるようですが、柔らかな味わいの伏見のお酒は素晴しいです。


20070410215557.jpg


伏見の酒蔵に立ち寄ったのは理由がありまして、ある酒蔵の一角でお酒をいただける場所がありましてそこで一杯やろうという魂胆です。

上の写真を見てわかりますとおりこのお店のカウンターからはお酒を仕込んでいるタンクが見えるという趣向になっています。


20070410220206.jpg


ごらんのようにいろりもありまして、そこでもお酒がいただけます。

今回は仕上がったばかりの新酒と、適度に寝かせた大吟醸に二年古酒をそれぞれ頂戴いたしました。あてはお漬物にいかなごの釘煮です

文句のつけようのない結構なお味でした。



ですが、少しばかり合い客に不都合な点が。

句会か何かの帰りのいいお年の6人連れでしたが、ちょっといただけませんでした。

蔵の中で飲んでいるというのに他の蔵の酒の話をえんえん。
「酒が好きならあそこの店を知らないともぐりだよ」などとどのガイド書にも記載されているようなお店の話を。

その上中の一人がせっかく蔵まで飲みに来たんだから売ってないここだけの酒を出せとのたまう。

いやぁ、ジャズの世界でもこんな困った方がいますが……

こんなおっさんのようには死んでもなりたくありませんなぁ。

ええとしこいて。


おさけがまずくならないうちに早々に引き上げました。

私達は刀自さんにこっそり隠し酒をいただきました。その上、傘まで都合していただきました。

いいお酒でした。
色々とありがとうございました。

蔵の名前は小さなお店なのでちょっとふせさせてもらいました。


是非にという方はお店でお尋ねください。


この後酔っ払いながらお店を開店しましたとさ。




もう来年の桜が待ち遠しいです。







2007年04月11日 ジャズではない話 トラックバック:0 コメント:0

今年も桜が咲きました

20070403190651.jpg


メルマガの方では少しばかり書いたのですが、この間の土曜日に近所の大川べりでお花見をしました。

いい年をした大人が揃いもそろって正体も無く酔っ払ってしまいました。


毎年、毎年桜の季節が来るとわくわくします。

子供の頃にはそんな気持ちにはならなかったように記憶しています。多分大学生のころから桜に対する気持ちが変わったように思います。

サラリーマンであったころには桜が咲いていようがいまいが、全く関知することなど出来ぬ時期もありました。


この十年くらいは桜の咲く季節がみょうに待ち遠しく思えます。

古来、日本での第一の花とは梅であったそうです。平安時代に桜が中国から伝来し日本人が最も愛する花になったとも聞きます。もっとも梅も中国伝来の花であるそうですが。

こんなに桜が愛されるようになったのはあの忌まわしい戦争のせいであったとも聞きます。「咲いた花なら……」   それまではここまで桜を愛されることは無かったとも聞きます。


そんなことは全く関係なしにいつのころから私は桜の咲くのを心待ちにするようになりました。

去年と同じ桜を見に行っても微妙に毎年花の具合が異なります。幼木は明らかに大きくなり、古木はそれとは判然としなくとも趣が変わったように感じます。


春とて、毎年同じではなく今年の桜は今年限りのものでしょう。私もずーーっと桜を見に行けるわけも無く、たまさか見に行ったその桜の盛りや散りぎわに出会っているのでしょう。

その桜をみている私も去年の私では無いわけで。



この間見た桜はまだ五分咲きといったかんじでしたが、はらはらととめども無く花びらの舞う散りぎわも好きです。

石橋物のうたいにあるように散る桜を見ていると、いつしか散っているのは桜か私か混沌とした中にポツリと身が置かれます。

ただただ酩酊しているだけかもしれません。



その一時ばかりの桜について、フリー系のジャズメンたちが演奏のテーマとするのもうなずけるきがします。


今週末もおてんきにめぐまれれば降りしきる花びらの中へと出かけようと思います。

散るのはわが身か桜の花か

2007年04月04日 ジャズではない話 トラックバック:0 コメント:4