ジョー ヘンダーソンがくれた素敵な虹




"Double Rainbow: Music of Antonio Carlos Jobim" (verve)
Joe Henderson
Joe Henderson(Ts)
Eliane Elias(P)
Oscar Castro-neves(G)
Nico Assumpcao(B)
Paulinho Braga(Ds)
Joe Henderson(Ts)
Herbie Hancock(P)
Christian Mcbride(B)
Jack Dejohnette(Ds)



double rainbow
photo by Rimsky ©2011

ジョー ヘンダーソンといえば真っ先にあがるアルバムは
ブルーノートの"Page one"というのが普通でしょう。

その中でも人気のあるのがボサ ノヴァの二曲
"Blue bossa""Recorda me"

往年のジャズ喫茶では同じくブルーノートの諸作が
結構な人気アルバムであったと聞きます。


時を経てブルーノートからマイルストーンへと移籍したころから
ジョー ヘンダーソンのアルバムを愛聴する人たちは
普通のジャズファンからコアなジャズリスナーへと移っていったように
感じられます。

そして普通のジャズファンにはジョー ヘンダーソンの作品といえば
先にも書いたとおりにマイルストーンやエンヤ等にも多くの作品があるのですが
ブルーノートの印象だけが強く残ったようです。


同時代に活躍し今も現役であるウェイン ショーターの作品が
常にジャズの陽のあたる部分にさらされていて評価されていたのに比べると
ヘンダーソンは少しワリを食ったような感じを受けます。

比較的知名度のあるヘンダーソンですが
もっともっと世間での評価は高くなってもよいのになと思っていました。


そのヘンダーソンにもヴァーヴへと移籍してその最晩年になってからは
メキメキと世間での評価が上がり驚いたことに四度ものグラミー賞を含む
さまざまな賞を授けられるようになりました。

やっとヘンダーソンにも陽のあたるいい時期が来たのだと思っているまに
彼は64歳という年齢でこの世を去ってしまいました。


正直に私の感想を述べますと
ヘンダーソンに賞を授けるのならば
それ以前にいくらでもいい作品があったろうにと思っています。

英語の常套句に「遅くてもないよりはまし」という言葉がありますが
まさにヘンダーソンの世評の高まりはそんな感じが強くしてなりません。



そんな晩年のヴァーヴの作品の中で
私が推薦したいのが上記にあげたジョビンのソングブックです。

先にあげたブルーノートの「ページ ワン」でも
ボサ ノヴァの曲目が人気曲となっているとおり
ヘンダーソンとボサ ノヴァはとても相性がよく
日本の方の多くがボサ ノヴァの曲に好感を持っていることもあり
どなたにも推薦できる好作品です。


最晩年のレコーディングでは
明らかにテナーの鳴りっぷりに陰りが見えているアルバムもありますが
このアルバムでは快調なヘンダーソンのテナーが楽しめます。



ダブルレインボウというのは
その名のとおり二重に空にかかった虹のことです。

大阪あたりでは虹自体がほとんど目にすることが出来ないので
見ることが出来たときにはとてもラッキーな気分になります。

上記の写真はわかりにくいのですが先月にあらわれた
大阪の空にかかったとても珍しいダブルレインボウです。



さてこのアルバムがなぜ「ダブルレインボウ」
という名前なのかといえば演奏のメンバーをご覧になれば了解のとおり
二組のリズム隊とヘンダーソンのワンホーンのアルバムになっているためです。

アルバムの前半部分がイリアーヌによるブラジリアン カルテットによるもので
後半がハンコックのアメリカン トリオによるバッキングになっています。


若干前半部分がくつろいだ感じの演奏ですが
弛緩したような演奏ではなくてピリッとしまった演奏になっています。

ブラジルのリズム隊の演奏のためによるのであろう
音楽のゆらぎが心地よくききあきしません。


後半部分はさすがにビッググネームのジャズミュージシャンのバッキングにより
いわゆるジャズの王道の解釈によるボサ ノヴァが楽しめます。

どちらの演奏も甲乙つけがたい好演奏で
ウレ線のボサ ノヴァアルバムでセールスをねらったような
どこかの国の作品のようにあざとい感じはまったくありません。

ジョー ヘンダーソンの代表作として
繰り返し聴くに堪えうる素敵な作品です。



ジャズメンの作品について「晩年の」と書くたびに
若干の違和感を感じずに入られません。
 
このアルバムを ジョー ヘンダーソンがものしたのは
たったの56歳のときなんですよね。

それとてソニー クラークやリー モーガンなどに比べると
晩年といえなくはないですが。




この記事で取り上げた作品です
Double Rainbow: Music of Antonio Carlos Jobim






2011年08月23日 埋もれたCD紹介 トラックバック:0 コメント:2

モダン ジャズ ノンシー(元大阪京橋ジャズ喫茶SONNY)お盆営業のお知らせ



C'Est Si Bon (おおー そいつぁ お盆だね)
Satchmo (がま口おじさん)

実店舗SONNYお盆営業のお知らせです



今日あたりの大阪市内は
一号線を走る車の数もとても少なく
いつもより静かな感じがします。

世間ではお盆休みに突入しているのですね。

私は貧乏暇なしでございまして
今年もお盆も休まずに営業いたしております。

ただ八月十四日(日)は
午後の5時よりの営業となります。
そのほかは通常通り3時よりの営業です。

お休みでお時間がございますれば
お越しくださるとうれしく思います。

どうぞゆっくりしにいらしてください。


今年も大阪を離れたお客さんや
遠方の方々がいらっしゃるのを楽しみにしています。

              店主 SONNY 敬白

C'Est Si Bon: Satchmo in the Forties
(おおー そいつぁ お盆だね)




2011年08月12日 営業案内 トラックバック:0 コメント:0

ジャズの専門店「ミムラ」三村晃夫氏を悼む



大阪でジャズのアルバムを購入している方の多くの方がご存知であろう
ジャズの専門店「ミムラ」店主である三村晃夫さんが
先月の末に心不全で急逝されました。

このことは大阪の多くのジャズファンの間に
大きな悲しみをもって受けいれられることとなりました。
ネット上でも数少なくない記事がホームページやブログ上で
三村さんの追悼を表しています。


私も今月の二日にその事実を驚きをもって知らされましたが
すぐにこのことをブログの記事にすることが出来ませんでした。

一週間ほどたって少しばかり気持ちに整理がついてきたので
この記事を書いています。



三村さんの死については
ご親族や友人関係の方はもちろんのことですが
そのほかにも大きな損失をもたらしたことに間違いはありません。


三村さんがいなくなったことの
私の関係することの損失としては
大きく言って二つのことがあります。


一つは大阪のジャズ界における(そんなものが確としてあるかはこの際おいておいて)の損失です。

ただでさえ商売にならないジャズというものですから
ジャズ喫茶にせよジャズレコードの専門店にせよ
大阪で成立させることはまことに困難なことであり
自らそんな商売をこころみるかたはとても稀有なことです。

大手レコード販売のジャズ売り場もどんどん縮小されてしまい
メジャーレーベルの新譜を手にとって購入することさえ
難しくなっているのが大阪での現状です。

現在ジャズのアルバムをつっこんで聞いてみようとするには
ネットでの購入が不可欠であると断言できます。


しかしジャズを何十年も聴き続けているつわものはいいとしても
これからジャズを聴き始めようとしている人たちにとっては
何の手がかりもないところからネットでアルバムを選択し
購入するのはとても至難の業です。

そんな人たちにとって町のジャズレコード屋さんとして
適切なアドバイスももらえるジャズの専門店「ミムラ」は
大変心強いお店であったと思います。

何十年もジャズを聴いてきた方々にとっても
年配の方でネットになじめない人たちにとっては
「ミムラ」は手にとってジャズのアルバムを買える
数少ないお店であったといえます。


ジャズを聴いてみたいといった方たちや
ジャズを聴き続けていきたいと感じる年配の方のような
ジャズ界の底辺を支えているのは
実に三村さんのような町のジャズレコード屋さんであるのです。

これらのことが
三村さんの死がジャズにとって
大きな損失になったという理由です。


これまで数多くのジャズ喫茶を見送ってきた私が感じていることがあります。

ジャズ喫茶に通っていらっしゃる多くのお客さんが
自分のなじみのジャズ喫茶が閉店してしまうと
他のジャズ喫茶へ通うことなく
そのままジャズ喫茶へ通うという習慣や
ジャズを聴くという習慣をやめてしまうのです。

ジャズの専門店「ミムラ」が無くなってしまったことによって
同様のことがおこるであろうことは簡単に想像がつきます。
とくにジャズを聴き始めた方にとってはなおさらのことです。


ジャズの専門店「ミムラ」を知ることで
ジャズの魅力に目覚めた方たちが
これからもどうかジャズを聴き続けてもらえることを
切に願います。

三村さんはお金儲けのためだけではなくて
ジャズに対する愛から「ミムラ」を
きりもりしていたのはあきらかなのですから。



さてもう一つの大きな損失は
私の極私的な損失感です。

上にも記したとおり
ジャズというのはもう商売としては
ほとんど成り立ちはしないジャンルです。

そのジャズを商売として
何とか成立させ八年もの間(こんなことがなければこれからも続いたでしょう)成立させた
三村さんはジャズに対する深い愛情があったことは間違いのないことです。

そんなジャズに対する大きな愛を持っていた三村さんと
お互いに腹をわって
ジャズに対する思いを互いに語り合うことが少なかったことが
とても悔やまれます。

その気になりさえすればいくらでも時間はつくれたはずですのに。
なんとも残るのは後悔ばかりです。


三村さんは以前は中堅レコード店でジャズコーナーを担当されていたのですが
そのころには結構商売としては大胆な商品構成を取って仕入れをされていました。

その大胆な商品仕入れのおかげで
バーゲンコーナー行きとなったアルバムたちを
随分たくさん買わせてもらったものです。


三村さんが独立して「ミムラ」を立ち上げてからは
その商品構成はかなり大胆なものから堅実なものへと
さまがわりするようなりました。

個人商店がバーゲンコーナー行きの商品を
多く出しているようでは瞬く店をつぶしてしまうのはあきらかです。

ただ私のようなすれっからしのジャズファンには
なんだか物足りなさを感じるようになったのも事実です。


また、ジャズのアルバムを製造し流通させる方法も
この何年かの間で激変しました。

ジャズのインディーズ化や
自費出版が急速に進み
これまでのアルバムの流通経路にのらずに
ネット上で販売されるジャズのアルバムが激増しました。

もうジャズの新譜を購入するにはネット環境を所有することが
不可欠になっているのです。

このことが私が決して二度と触るまいと思っていた
コンピューターを購入する決定的な要因でした。


そうなってしまうと
町のレコード屋さんたる
ジャズの専門店「ミムラ」に足を運ぶことは少なくなってしまいました。


もっと「ミムラ」に行って三村さんと
話をしておけばよかった。

いつもながら思慮の浅い私の
大きな後悔です。


商売としてジャズに関わった者は
一般のジャズリスナーとは違ったジャズに対する視点を
望むと望まざると持たずにはいられなくなります。

三村さんとしか出来ないジャズの話は
たくさんあったはずなのです。

無念……



亡くなってしまわれた三村さんの
個人的なジャズ観を知るわずかな手がかりが
ワルツ・フォー・デビイです。

うちへおいでになったときに
「何かお好きなアルバムをおかけしましょうか」
と問うた時に少し照れたような顔であげられたのがこのアルバムでした。

システムから流れ出す何度となく聴いたであろうこのアルバムの音楽を聴いて
「ええーっ、こんなたくさん音が入ってるんや!」
と興奮気味に声を上げたのを忘れません。



「三村さん どうなん    」



やっぱりまとまりのない文章になってしもうたわ
まだまだ喪失感はなくなれへんようです。

                         合掌

2011年08月09日 未分類 トラックバック:0 コメント:2