ティモンズ復帰後のメッセンジャーズはショーターの成長記録

ティモンズのメッセンジャーズ復帰からの続き

1960年の春に「ビッグビート」の録音でメッセンジャーズに復帰したティモンズですが
世界中でまだまだファンキーブームの嵐が吹き荒れている状態です。


これより
1961年末までのメッセンジャーズ以外でのティモンズの残した
主だったアルバムを見ますと

"The Soul Society" (riverside)
Sam Jones




"The Young Lions" (veeJay)
Lee Morgan




"Lee-Way" (bluenote)
Lee Morgan




"The Big Soul-Band" (riverside)
Johnny Griffin




"Blue Jubilee" (riverside)
Joe Alexander


サイドメンとしてのティモンズの人気も
まだまだ健在であるのが見て取れます。



それでは同様に61年末までのメッセンジャーズで残した
ティモンズのアルバムをあげますと

"The Big Beat" (blurenote)



"Like Someone In Love" (blurenote)



"A Night In Tunisia" (blurenote)



"Meet You At The Jazz Corner Of The World" (blurenote)



"The Freedom Rider" (blurenote)



"Roots & Herbs" (blurenote)



"The Witch Doctor" (bluenote)



"Art Blakey Jazz Messengers!!" (impulse)

同一録音日のセッションが複数のアルバムに振り分けられているので
完全に時系列に並んでいるわけではありませんが
ざっくりとした並びは聴けると思います。


このようにショーター、ティモンズ参加のメッセンジャーズを順に聴くと
当初はファンキー色が強かったアルバムが時を追うにしたがって
次世代ジャズのモード色が聴き取れるものへと変化しているのがわかります。

これを言い換えますとメッセンジャーズでの比重が
ティモンズからどんどんとウェイン ショーターへと移っていると言えます。


最初のアルバム"The Big Beat" の録音が1960年の三月
そして最後のアルバム"Art Blakey Jazz Messengers!!" の録音が
1961年の五月と六月。

わずか一年と数か月の間でのウェインショーターの成長ぶりは驚異的で
ちょっと毛色の変わったテナー奏者から怪物への変貌が始まったのがわかります。


まさにファンキーブームの真っただ中から数年の間にジャズの中心は
モードへと移行し世間のジャズブームは一転して鎮静化していくのですが
ここからのジャズ自体の変貌の先頭を走った者
またそれにはまつろわなかったミュージシャン達。

ここからのジャズが多様化し ますます面白くなってきます。
ジャズ新時代の幕開けと言えましょう。


このメッセンジャーズの音楽性の変化に
他のメンバーたちはどのように対応しているかと見ますと

ベースのジミー メリットは楽器の特性もありますが
さほどの影響もなく柔軟に対応ができています。

トランペットのリー モーガンもファンキーの立役者ですが
結構に器用で違和感を感じる演奏ではありません。
とはいえ新しいジャズを加速させるほどの力はないようです。

ティモンズ自身もこの音楽性の変化に対応しようとの様子はありますが
実際のところファンキーな演奏からの脱皮は見られず
徐々にバッキングもソロも苦しくなってきているように聴こえます。

ところで御大たるブレイキーはと言いますと
この人の場合実際のところ他のメンバーがどういう演奏をしようが
全く変化はありません。

御大たるものどっしりと構えてこそ と言ったところでしょうか(笑)。


メッセンジャーズ(というかショーターが)のこれ以上の進化を遂げるには
早晩メンバーの交代が必要であるのは明らかです。

インパルスでカーティス フラーを加えて三管編成となった
"Art Blakey Jazz Messengers!!" の録音を最後に
トランペットのモーガンとピアノのティモンズは脱退(今風に言うと卒業)します。

代わりに入ったメンバーがトランペットのフレディ ハバードと
ピアノのシダー ウォルトンであったのはまさに適材適所の感があります。

そして吹き込まれたアルバムが

"Mosaic" (bluenote)

このアルバムを聴いてみて感じるのは
まさに欠けていたピースがそろってピタッと全体がおさまった
と言う感覚です。

もちろん御大ブレイキーはそのままです(笑)。
もうこれ以上の発展のためにはブレイキーを変えるしか……
  って   それではメッセンジャーとは言えんやろ



ウェイン ショーターがメッセンジャーズを脱退するのは
もはや時間の問題   と思えるのですが
1964年の春まで在籍を続けメッセンジャーズの発展を支えます。

この時期にはマイルズがあれやこれやとショーターの引き抜きを図るのですが
ショーターったら 以外に義理固いお人ですなぁ。


そしてその後のショーターのマイルズバンドでの大活躍と
発展については      また別のお話


ここではまたティモンズの行方をもう少し追いたいと思います。




















2018年01月31日 埋もれたCD紹介 トラックバック:0 コメント:0

ジス ヒアときたらダット デア ってね

ボビー ティモンズの記事の続き

アートブレイキー アンド ジャズメッセンジャーズにばってきされ
見事に「モーニン」で大ヒットをかっ飛ばしたティモンズですが
翌年にはあっさりメッセンジャーズを退団します。

キャノンボール アダレーのグループへと鞍替えします。


ファンキーの商人とまで言われたキャノンボールにとっては
ティモンズに「モーニン」のようなファンキーチューンをと
願っての引き抜きであったのでしょう。

その願いはティモンズを擁した一作目で早くもかないます。

"The Cannonball Adderley Quintet In San Francisco" (riverside)
Cannonball Adderley


アルバムにティモンズ作の「ジス ヒア」を収録し
見事に大ヒット。

このファンキーチューンもキャノンボールそしてのちにはナットの十八番となり
以降末永く愛奏され続けることになります。


もうティモンズときたら優勝請負人の江夏みたいなもんですな。

向かうところ敵なしのティモンズですが
どうしたことかキャノンボールの次作の"Them Dirty Blues"


"Them Dirty Blues" (riverside)
Cannonball Adderley

に"Dat Dere"を提供するも録音途中でグループを脱退してしまいます。

どうやらティモンズは「ジス ヒア」がかなりヒットしたにもかかわらず
キャノンボールの支払ったギャラが思うほどではないというのが理由のよう。

想えばすでにティモンズもお薬代を捻出するのに大変だったのでしょう。


さてティモンズが抜けてしまった後のピアノには
なんとバリー ハリスが入り残りのアルバム分を収録しています。

  ティモンズの代わりにバリー ハリス??????
となった方たくさんいらっしゃるんじゃぁないでしょうか。

結構バリー ハリスって小器用なところもあってねぇ
このアルバムだって彼の参加作なんです。

"The sidewinder" (bluenote)
Lee Morgan


うふふふふふふ 結構意外でしょう

それで先のキャノンボールの"Them Dirty Blues" に
ナットの大ヒット曲「ワークソング」が収録されているんですけれど
そこで演奏しているピアニストはバリーなんです。

 バリー ハリスが"work song"
うふふふふふふ         ブラインドにもってこいじゃん


さてさて
キャノンボールのグループを脱退したティモンズですけれど
 「それじゃぁ また俺んところでピアノ弾いてよ」
てな ブレイキーの太っ腹な一言(あくまでも想像)でメッセンジャーズへと復帰。

そして収録されたメッセンジャーズのアルバムが

"The Big Beat" (bluenote)
Art Blakey


ティモンズがいない間にメッセンジャーズのテナーサックスは
ピンチヒッターのハンク モブリーからウェイン ショーターへと交替。

面白いことにティモンズ作の「ダット デア」が
この復帰アルバムでも演奏されています。

一体これは誰の考えで収録されたのか興味がありますねぇ。

という事でまさに同時期に同一ピアニストのティモンズ作演奏で
二大ジャズグループキャノンボール アダレイ クインテットと
メッセンジャーズの「ダット デア」が聴けるという嬉しい事態に。


ブルーノートという事もありかっちりとした完成度の高い演奏の
メッセンジャーズ版「ダット デア」。

兄弟フロントのピッタリとした一体感と熱気あふれる演奏の
キャノンボール版「ダット デア」。

甲乙つける必要もなくどちらも好演奏です。


ちなみにこの"Dat Dere"ですけれども
"That there"のなまった口語です。

つまりは全大ヒット作の"This here"と対になっているわけですね。



ちょっと長くなったので
この辺でつぎまた







  











2018年01月27日 埋もれたCD紹介 トラックバック:0 コメント:0

サイドメンとして引っ張りだこのボビー ティモンズ

前回のボビー ティモンズの記事の続きです。

ケニー ドーハムのグループで初録音を飾ったティモンズですが
その後も様々なグループでフリーランスのピアニストとして活躍します。

録音が残されているものだけですが参加グループを列記しますと
先ずは56年
ケニー バレル
チェット ベイカー
ジェリー マリガン
フランク モーガン
ジェイムズ クレイ
フィル アーソ

57年度
ハンク モブリー
ソニー スティット
カーティス フラー
メイナード ファーガソン
ジョン ジェンキンス
リー モーガン

58年度
ペッパー アダムズ
ケニー バレル
アート ブレイキー(レギュラー メンバー)
ベニー ゴルソン
ロジャー ゲリン
トニー オルテガ


当然のことながら録音が残されていない
クラブなどでのギグは数えきれないほどの物であったはずです。

この売れっ子ぶりはまさにファーストコールってやつですな。


時期としてはまさにハードバップの全盛期で
ファンキーブームへと突っ走ッているさなか
どのグループ リーダーもティモンズを欲しがったことでしょう。

そして58年にジャズメッセンジャーズのレギュラーピアニストとして
アート ブレイキーにスカウトされます。

ブレイキーとティモンズはすでにケニー バレルでの
ブルーノート録音で共演をしていますし
同じく同僚となったリー モーガンの作品にも参加しています。


音楽ディレクターのベニー ゴルソンの参加も得て
ジャズメッセンジャーズがブルーノートに録音したのが「モーニン」

"Moanin" (bluenote)
Art Blakey


表題曲の"Moanin"はご存知の通りティモンズの手になるファンキーチューン。

ボビー ティモンズは父親は教会の牧師で
その教会でティモンズも演奏を行っていたそうです。

その教会でのプリーチャーの説談の「コール アンド レスポンス」
の様子を活写したと言われる「モーニン」。

ファンキーのお手本のような作品に仕上がっています。


世界中で大ヒットし
本邦でも蕎麦屋の出前が口笛でテーマを吹いたと言われる
伝説を残したぐらいのもの。



ティモンズはアルバムの発表後ジャズメッセンジャーズの欧州楽旅にも同行し
フランスでのサウンドトラックの収録にも参加しています。

ヨーロッパ各地で演奏された「モーニン」は
熱狂的に支持されそのうちパリのサンジェルマンでの演奏は
"Moanin' with Hazel"としてつとに有名です。

"Au Club Saint Germain" (RCA)
Art Bkakey and Jazz Mesengers


なぜにゆえにこのアルバムでの「モーニン」のみ
ウィズ ヘイゼルと副題つきで語られるのかですが
サンジェルマンに居合わせたお客さんの中に
ヘイゼル スコットがいて彼女の嬌声が録音に収録されている為です。

このヘイゼルスコットですが本朝では全く知名度はありませんが
アメリカではテレビショウまで持っていた大変な人気者。

ヘイゼル スコットの説明までしていると
あまりに脱線して長くなるので このへんでおいておいて
またの機会に



 
この後「モーニン」はメンバーの変遷をかさねてもなお
メッセンジャーズの終生にいたるまでの十八番のナンバーとなります。



この後もティモンズはメッセンジャーズで活躍を続けるかと言いますと……










2018年01月24日 埋もれたCD紹介 トラックバック:0 コメント:0

さてボビー ティモンズとはなにものであったのだろうか

よく私が質問されることの一つに
「レコードを何枚ぐらい買いました?」
と言うものがあります。

一月の間にとか年間にとかの期間内についてですけれど
まぁ五千枚ほどもレコードを所持していれば相当数買うんだろうなと
皆さん思われるのでしょう。

確かにかつては年間に数百枚買っていたこともありましたが
去年私が買ったレコードは0枚です。

基本的には新譜を中心に買うのでレコードを買うことはもうあまりありません。


もう一つの理由としてはレコードを見ればやはり買ってしまうので
レコード店に立ち入らないようにしています(笑)。


ところがですねぇ
先日梅田に所要があって出かけたところ
ふっと 魔が差しまして ふらふらと中古レコード店へ。

足を踏み入れたが最後レコードの餌箱をつつけば
買わずにはいられなくなりましてつい5組のアルバムを購入。
 あほですなぁ


その中にいままでついぞ手にすることのなかった
ティモンズのレコードが。

"Do you know the way?" (milestone)
Bobby Timmons


amazonに商品の取り扱いが無かったので
止む無くこのtwo in oneのアルバムを掲示ですが
私が買ったのは「ドゥ ユウ ノウ ザ ウェイ?」。
   (この商品6桁の値段がついていますがこんな値段で絶対買わないで!
    ちなみに私が買った値段はセカンドプレスのアナログで800円)


この「ドゥ ユウ ノウ ザ ウェイ?と言うアルバムですけれど
公式にスタジオ録音され発売されたリーダーアルバムとしては
ボビー ティモンズの最後の作品になります。


実を言いますと私にとってボビー ティモンズと言う人は
ピタッと私の中の腑に落ちないというか
判断を留保したままにしているミュージシャンだったのです。

いつかはティモンズの像が私の中で焦点を結ぶかと思っていたのですが
いまだに曖昧なままです。


このティモンズのラストアルバムが手に入ったのを機会に
この数日集中的に彼のアルバムを聴いてみました。


彼が初めてレコーディングを残したアルバムは

"'Round about Midnight at the Cafe Bohemia" )blue note)
Kenny Dorham


この伝説的なドーハムの短命グループ「ジャズ プロフェッツ」に
ティモンズが抜擢されたのは21歳という若さ。

ティモンズと言えばファンキーでアーシー
そしてあの特徴的な左手のブロックコード。

初録音であるこのアルバムには
もうハッキリとティモンズとわかる特徴が聴き取れます。


ホーン奏者のように音色で個性が発揮できる楽器とは異なり
ピアノでそれとわかる個性を身に着けるのは大変なことです。

40歳を過ぎてもなおしっかりとした個性を発揮できずにいる
ジャズピアニストなんてゴロゴロいる始末です。

まさに早熟のジャズミュージシャンの典型例と言えましょう。


さて
快調な滑り出しを見せたティモンズですが
この後も順風満帆な活躍が……

    どうなりましょうや









2018年01月20日 埋もれたCD紹介 トラックバック:0 コメント:0

新年気分もそろそろ終わりですかね ハンク ジョーンズ

hankjones.jpg

一月も15日をむかえて小正月。

関東近辺では昔より武家社会という事で
七日を過ぎれば松の内も明けて平常運転でしょうが
町人文化の大阪では松の内は15日まで。

年賀はがきのお年玉も抽選がおこなわれて
さすがの関西でも慌ただしい日常が戻ってきた感じです。


  新年一発目には何のアルバムを聴こうか
なんて多くの音楽愛好家は頭を巡らせたのではないでしょうか。

幾人かのジャズ喫茶の親父さんたちと
新年にかけるアルバムについて話をしたことがあります。

その中でお二人の方があげられたアルバムが

"SAXOPHONE COLOSSUS" (prestige)
Sonny Rollins


いやまぁ、なんとも正攻法 正面突破な感じですね。
ハードバップを代表する名盤。

押しも押されもせずというか
お正月に「サキソフォンコロッサス」というのは
適任と言えるでしょう。

私が思ったのはジャズ屋のおやじさん達
意外とまっとうだなぁということ。
    うふふふふふふふ

私なんかはちょっと気後れして
このアルバムは選択できないですねぇ
    あはははは



で 今年の私が選んだアルバムはと言いますと
ハンク ジョーンズのアルバム「ティップトゥー タップダンス」

"Tiptoe Tapdance" (galaxy)
Hank Jones


B面をターンテーブルの上に載せると
トラディショナルなスピリチャルに始まり
そして 終わり
清々しい気分になります。

私はハンク ジョーンズと言うピアニストが大好きですが
その一番の理由が 無駄な音を弾かない こと。

自分の描こうとする音楽の像がピシッと頭の中に結んでいるようで
発せられたピアノの音が屹立して美しいです。

かといって音楽そのものが厳しいわけではなく
タッチはあくまでもソフトです。


ならばハンク ジョーンズの演奏を
コタツの中に潜り込んで寝そべって聴くかと言うと
そういうわけにもいかずに
自然に聴くものの背筋を伸ばさせるような趣があります。

人格が音楽にあらわれた演奏と言うべきでしょうね。


 サウイフモノニ
ワタシハナリタイ    (© 宮沢賢治)


今年もよろしくお付き合い願います。

                Sonny




2018年01月15日 埋もれたCD紹介 トラックバック:0 コメント:0