動物園であるジャズの体験を思い返していた

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動物園でパンダが食事をしているところを見ていると、ふとジャズを聴いていて体験するある種不思議な経験を反芻している自分に気が付きました。



この間のメルマガにも書いたことなのですが、昔の私はジャズの解説やライナーというものを頑なに遠ざけていた時期がありました。

人の意見を眼にしてしまうと自分自身がその曲を聴いて感じることがマスキングされてしまうように思っていたからです。最悪の場合、自分が感じるはずであった音楽に対する感動が汚れてしまって、取り返しのつかないことになるのではと恐れていました。

音楽はその音楽の中にこそ意味があり、不用意な知識は音楽に対する妨げになるのではと考えていました。

今でも、ある程度まではそのことは正しいことだと思っています。


ただ、現実には純粋に音楽を標本のようにとらえて客観的に聴くことなど出来はしません。

楽しい気分の時にはそのときに聴きたいものがあり、夜には夜の朝には朝に聴きたい音楽があるのが人間としては普通だと思います。

ようは、録音された音楽は動かないにしても、鑑賞する側の当人はゆらゆらと揺らいでいるわけです。

純粋に音楽を鑑賞することなどとても出来る筈はありません。



演奏された音楽というのはそこで完結しているのだから他の音楽と関連付けて聴くなんて事は意味のないことだと思っていました。

「だれだれの演奏は何某の影響をふんだんに受けている」なんてことに意味があるとは考えていませんでした。

だってジャズを聴き始めた人が歴史的な順番にジャズを聴いていくわけではないじゃないですか。チャーリー パーカーの演奏を聴いて「この人はフィル ウッズの影響を受けているなぁ」と感じても至極当然な気がします。

結局のところ人は今現在のうちに聴こえている音楽を楽しむことしか出来ないのではないかと考えていました。

ここでも純粋に客観的に音楽を捉えて鑑賞しようと、さかしらに考えていた自分がいました。

一年前の自分と一年分の経験をした今の自分、昨日の自分と今日の自分が異なるということに気が付かない浅はかな私がいたわけです。

また、音楽は動かなくても自分は揺らいでいるわけです。

まぁ、高校生の頭で考えることなど高が知れていたというわけでしょう。今現在の私もそれほどかわりばえがするとも思えないのが悲しいですが。



今となっては、ジャズを聴きはじめたころの私がどんな具合にジャズを感じていたのかは全く思い返せなくなっています。



二十五、六歳のころだったっと思うのですが、それまでジャズを聴いていて感じたことのない経験をしました。

それまでそんなに好きだとは思っていなかったコールマン ホーキンズを聴いていたときのことです。ホーキンズのテナーの音に耳を傾けていたときに不意にロリンズの演奏が同時に聞こえ始めました。と思う間にベン ウェブスターやアーチー シェップ、コルトレーンやアイラーまでもが聴こえてきたのです。

なんとも表現しにくいのですが、ちょうどパラレルワールドが一編に認識されるといったような感じがしました。

それ以来いつもいつもそんな具合にホーキンズの演奏が聴こえるという事はなく、しばらくの間はそんなことは全く起こりませんでした。何か狐につままれたような気分がしました。


変わっていくのは自分だけではなく音楽そのものも動いているのだということに気が付きました。自分自身にも経験や体験があるのと同じ様に音楽もまた経験や体験があり揺らいでいる物だと知らされました。



今は時々そんな瞬間がやってくるのを楽しんでいます。時を経るにしたがって音楽に聞き取れる重層的な世界も増えていっているようです。



今までこの体験のことはほんの数人の方にしか話をしたことがありません。

私のことを変なやつだとお思いになるかもしれませんね。
もともとそう思っていらっしゃるから平気かもしれないですね(笑)。




パンダが笹を食べているのを見ながらずっとこんなことを考えていました。


2007年04月18日 象をなでながら考えるJAZZ トラックバック:0 コメント:2

今晩は、Sonnyさん。

いつも、ブログやメルマガ、楽しく読ませてもらってています。

Sonnyさんのブログを拝見していると、ご自身がしっかりとした
理念を持ってジャズを聞いて来られたのが、よく分かります。

私は、ジャズの聞き方などを、特に考える事もありませんでした。

ライナーノーツを読む時も 特に先入観とか 気にしていませんでした。

言われてみれば、本 ラジオ等いろんな所で影響を受けて 今の自分が
有るのでしょうね。

ただ、レコードを聞くとき、解説にどう述べられていたか、という事を
気にして聞いた記憶も特に、ありません。

私の場合、純粋にジャズを鑑賞してきたのかも 怪しいものです。
ドラムやギターの、演奏をする為のお手本や素材という面が
強かったのかもしれません。

今でも、ジャズを流しながら、一緒に何かを口ずさんでいることが
よくあります。

何かの演奏を聞いて、そこから何かを感じる、という聞き方ではなく
聞こえている演奏の中へ入って行くような聞き方をしているようです。

楽器経験の有無が、ジャズの聞き方にも表れるのでしょうか?

それとも、こんな感じ方をしているのは、自分だけでしょうか?

2007年04月19日 インタープレイ URL 編集

インタープレイさん、こんばんは。

<楽器経験の有無が、ジャズの聞き方にも表れるのでしょうか?

如実に表れると思います。
楽器を演奏される方は確かにお手本を探してジャズを聴いているという側面が強いと思います。自分の演奏する楽器が入っていないアルバムはほとんど持っていないという方を幾人も知っています。

もうひとつ楽器を演奏する方はどうしても楽器のテクニカルな部分や理論といったものが気になるようです。
さらに自分の楽器の演奏レベルを基準にして演奏を推し量るということも強いようです。

ただ、例外的にジャズを聴くのが好きで好きでアルバムをたくさん持っているという有名ミュージシャンも存在します。

演奏者としても一流で聴き手としても確かだというのはなかなか難しいように思います。

2007年04月19日 Sonny URL 編集












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