ジャズも純邦楽も好き JAZZ1000回問われた私への質問 7




ジャズが好きで聴いてきて気が付くと30年以上聴いていることになります。

そんな私が歌舞伎や文楽が好きで清元や常磐津浄瑠璃が好きだというと、他人様から結構不思議がられます。前にもプログレが好きだというと変な顔をされると記事を書きました。
がそれ以上に不思議に思われるようです。


一つには古典芸能自体に馴染みの無い方が多いので、純邦楽(今や純を付けないといけなくなりました)を聴くこと自体が珍しいというのが有るのでしょう。

他方には洋楽という範疇ではジャズもロックも同じカテゴリーに入るが、純邦楽はまったくジャズと縁もゆかりもないではないかと考えられるようです。


多分ご想像されたと思いますが、私が純邦楽を好んで聴く理由とジャズを聴く理由はまったく異なります。


永年聴いてきたジャズですのである程度自分の体の中にもそのエッセンスが染みている部分もあるとは思います。しかしながらジャズを聴いていてもこの音楽が自分自身の肉体感覚と同じだとは感じられるようにはなっていません。

私がジャズを聴いて感動しているさまはなんと言うかあくまでもエキゾチックな物に対する感動なのです。自分の体の中に流れているノリやグルーヴとはほとんど一致しません。

極端なたとえ話ですが日本人の私がロンドンのパブで一杯のエールを味わっている時の幸福感のような物だと思います。
うーん、なんだか余計に話がわからなくなるようなたとえ話ですね(笑)

ジャズを聴いたり演奏したりしている方の中には、ジャズに心酔するあまり自分自身がまるで黒人であるかのように振舞う人を見かけることがあります。

私はそんな具合に振舞うようなことはありませんし、出来もしません。私が生粋の日本人であると理解しているからです。喋るのは関西弁ですしリズムはアフタービートでは無く頭でのっています。

そう私にとってはジャズはあくまでもエキゾチックであるのです。


一方純邦楽とくに浄瑠璃を聴くさいの私には、それらの音やノリ.グルーヴといったものはまさに身体にしみこむように入ってきます。なんともいえない安心感と心地よさがあります。

純邦楽の中に流れている血はまさに私の体の中に流れている血と全く同じ物であると実感します。言い古されてしまった昨今の表現を使えばまさにDNAの中にあるということになるでしょう。

浄瑠璃や歌舞伎といった古典芸能は元来上方で発生しはぐくまれてきた物です。したがってその中で使われる音楽やせりふはすべて上方の言葉で構成されています。

最も筋書きそのものが江戸で作られた作品も多数あります。いわゆる義太夫物とかマル本と呼ばれるものは当然のごとくほぼ上方の言葉で綴られています。


音楽のグルーブやノリといった物はその根源はそれらを演奏する人々の言語や喋りに求められると思います。一度黒人達の喋りを注意深く聴けばそれらがジャズのノリに酷似していることは理解していただけると思います。


といったわけで私はジャズを愛し純邦楽を好んで聴いているのです。

これからもきっとずっと。

2007年06月30日 私のジャズ トラックバック:0 コメント:0












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