高僧セロニアス モンクの浄土で遊ぶ


"Thelonious Alone In San Francisco" (riverside)
Thelonious Monk


ジャズ喫茶で初めてモンクを聴いたときから彼の音楽がとても気に入りました。

現在の私の感じるようにはモンクの音楽を聴けてはいなかったでしょうが
彼のなんともユーモラスなところや独特のゆらぎ感は十分に
感じ取れていたと思います。


モンクの音楽に対して
 生理的に合わない
っておっしゃられる方に何人もお目にかかっています。

長年ジャズを聴いてきた人に
 実はねぇ どうもモンクがどうにも駄目なんだよ
なんて小声で打ち明けられたこともあります。

どうやらモンクの音楽に対しては
スッと入れる人とそうではない人がいるようです。

最初からモンクの音楽を楽しめた私はずいぶんとラッキーであったようです。


一部のものを除き昔はそれほどモンクの中古レコードも高くなかったので
結構買い集めては頻繁に彼のレコードに耳を傾けていたものでした。

今はと言います個人としてはどうしても90年以降の音楽を聴くことが多く
モンクに限らずそれほどの頻度で昔のレコードを手に取ることは無くなりました。

それでもやっぱり
 モンクでないと
と言う時があるわけでして
最近またぞろ彼のレコードを聴きなおしています。

そうすれば以前にもましてモンクの音楽により強く引き込まれる私がいまして
 うーーー
と小さく唸ってみたり
 ほぅっ
とかすかにため息をついたりするわけでして

モンクの世界にどっぷりと浸っているのはなんとも幸せなことです。


一流のジャズメンたちの演奏にはそれぞれの世界が
確固としてあるわけですが(それこそが一流の証だとも)
モンクの世界は他のミュージシャンのものとは少し事情が異なるように思います。

モンクが紡ぎだす世界は
圧倒的に独創的であり
徹底的に彼の手で磨きぬかれたものだと感じられます。

それ故
彼の世界の中で共に音楽を作り出すのはとても困難で
 (例のマイルズのクリスマスのお話もあることですし)
瑕の無い全きモンクの世界で遊ぶにはソロアルバムが一番。

というわけで
冒頭の「セロニアス アローン イン サンフランシスコ」
を幾たびか聴きかえしています。


このアルバムで聴かれる音には
セロニアス モンクが表現したかった音楽の
すべての要素が正しい位置にピッタリとあり
かつ
無駄なものは何一つ無い
という完成された彼だけの世界がそこに置かれています。

とても精巧に出来ている世界なのですが
過剰なものは何も無いモンクの思う音楽。


モンクはソロアルバムを何枚が残していますが
生気溢れながらの完璧なモンクワールドと言うことでは
このの「セロニアス アローン イン サンフランシスコ」が
一番だと感じます。





後年のコロンビア時代の「ソロ モンク」は
「セロニアス アローン イン サンフランシスコ」とはうってかわって
そこに投げ出されたような静かなモンクの世界観があり
これはこれで聴きたいときにはターンテーブルの上に載せることがあります。






「セロニアス ヒムセルフ」もまたリバーサイド時代の
生気溢れるモンクワールドが繰り広げられているのですが
最後がコルトレーン入りのカルテットの演奏で終えられていまして
モンクワールドにどっぷり浸っていたいという向きには ちょっとね。

最後に我にかえっちゃうのがねぇ。

A面だけ聴いちゃうという手はありかも
 (今は大多数の人はCDか……)



お釈迦様の手のひらでころがされているのも
モンクの世界であそぶのも
幸せなことですなぁ。






2016年05月08日 私のジャズ トラックバック:0 コメント:0












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