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シアリングも羨むジャマルの黄金のドラム&ベース


"But not for me" (argo)
Ahmad Jamal


アーマッド ジャマルと言えば「バット ノット フォー ミー」というか
さてそれ以外のアルバムを知らないという人のほうが多いのでは

さほどに有名なジャマルの大ヒットピアノトリオアルバム
「バット ノット フォー ミー」ですが
さて、サイドをつとめるベーシストとドラマーの名をご存知ですか

この黄金期のジャマルトリオのサイドメン
ベーシストはイスラエル クロスビー
ドラマーはヴァーネル フォーニエ。

明晰にして堅実なモダンベーシストのクロスビーと
懐の深いフォーニエのドラムが紡ぎだす
魔法の絨毯に目いっぱい間を活かしたジャマルのピアノが
二つとないこの時期のジャマルの演奏スタイルを支えました。


先の記事であまり注目されないベーシストのジャミル ナッサーについて
書きましたが今回はイスラエル クロスビーについて少し。

イスラエル クロスビーですが生年は1919年といいますから
近代ジャズベースの祖ジミー ブラントンとたったの一つ違いです。

事実ジャズ史家の内にはクロスビーの事をブラントンと
並び称する者もいるようです。

そんなことからクロスビーの初録音はジーン グルーパーとのものですし
アルバート アモンズ(ジーンのパパ)やミード ルクス ルイスといった
ジャズ創世記のブギ ウギピアニストとも録音があります。


となれば1930年生まれ(ロリンズと同年)のモダン期のジャズメン
アーマッド ジャマルのメンバーになったいきさつも気になるところです。

共にシカゴをベースとして活動することから俊才の呼び声高いジャマルに
地元のすでに名声を確立していたクロスビーが力を貸したというとこでしょうか。

ピアノトリオにドラムが参加するようになる前にはギターが入っていましたが
そのころから既にイスラエル クロスビーはジャマルトリオでの
ベーシストとしてメンバー入りしていました。


ジャマルとクロスビーとが残したアルバムは手元で確認した限りでも
12枚を数えます。

ジャマルは余程イスラエル クロスビーがお気に入りだったんですね。


この黄金期のジャマルトリオの名声は先にあげた「バット ノット フォー ミー」で
一気に高まりその後ヒットアルバムを立て続けに出したのですが
1962年の半ばで突然に解散します。

「トランキリティ」のライナーによればクロスビーの突然の逝去が原因と
ありますが 実際はそうではありません。

先に述べたように他に変えようのない魔法の絨毯を織りなす
クロスビー=フォーニエのリズム隊を引き抜いた者がいたのです。

それは当時名声も確立していたピアニスト ジョージ シアリング。

二つとないリズムセクションをバックに演奏してみたいという気持ちは
分からないでもないと言いますか……

そして作成されたアルバムが

"Jazz Moments" (capitol)
George Shearing


シアリングがこのジャマルのリズム隊を得て
スタイルをエロル ガーナー~アーマッド ジャマルのように
寄せていったような曲もみられます。

しかしと言うか当然と言うかシアリングはシアリングでして
メロディーをしっとりと浮き立たせる演奏は健在です。

この新しいリズム隊をこれからどう料理しようかと
いろいろと試しているような感じがうかがえます。

まだまだピッタリとこのリズム隊を沿わせるには
少し時間が必要だとも感じます。

さてこれ以降の新シアリング トリオの演奏やいかに

ですがこのピアノトリオ突然の中断を余儀なくされます。


心臓発作であえなくイスラエル クロスビーが
この世を去ってしまったのです。

あーあ 好事魔多し


もう少しクロスビーがながらえていたならば
彼の一般への認知度も上がったでしょうに。

            残念





おまけですが
貴重なイスラエル クロスビーの来日の模様が
ようつべに!!!  おーっ  ハンクさまも



ありがたや







2018年07月02日 埋もれたCD紹介 トラックバック:0 コメント:0












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