一頭地抜くテナー クリス ポッター

Lift: Live at the Village Vanguard


"LIFT" Chris Potter(Sunnyside)

 ニューヨークでは数多くのライブハウスが生まれ、そして消えていきます。ライブハウスを維持していくというのは中々に大変なことのようです。そのニューヨークで70年以上もの間、ジャズクラブの老舗として君臨してきたヴィレッジ ヴァンガードという存在はもう奇跡に近いように思えます。
 数多の有名なミュージシャン達がヴィレッジ ヴァンガードに出演してきました。彼らの名前をここで列挙するよりも出演していないミュージシャンを記した方がはるかに早いことでしょう。ここでもブルーノートのアルフレッド ライオンと同じく、ジャズに魅せられた一人の熱烈なジャズ愛好家の店主マックス ゴードンの存在がこの奇跡をなしえたのだといえます。
 晩年には「まるでジャズを護っている妖精のようだ」と人に言わせしめたマックス ゴードン。彼の亡きあと名店を継いだゴードン夫人は、かつてアルフレッド ライオンの奥さんであったことも、なにやら因縁浅からぬものを感じます。

 ヴィレッジ ヴァンガードでのライブ録音では幾多の名盤が生まれています。その中でも白眉とも言えるのが ソニー ロリンズ、ジョー ヘンダーソン各氏のアット ヴィレッジ ヴァンガード。新旧ブルーノートの手によるピアノレステナートリオの二作品です。それぞれその時点での最高のパフォーマンスを記録した素晴しいアルバムです。

 通常のピアノトリオを従えてのテナーのアルバムですが、上記のクリス ポッターのアルバム「リフト」は、まさにヴィレッジ ヴァンガードの魔法がかかったかのような快作となりました。
 71年の生まれだといいますから、クリス ポッターももう若手のミュージシャンとは呼べなくなってきました。ファースト レコーディングはレッド ロドニーのグループの物であったそうですが私は未聴です。当初の彼のアイドルがチャーリー パーカー、レスター ヤング、ソニー ロリンズであったことを考えると、レッド ロドニーのグループでの演奏はバップ寄りのものであったのかもしれません。
 日本で彼の名前が注目されたのは90年半ばのコンコードやクリスクロスでのリーダーアルバムによってだと思います。その頃の作品ではウェイン ショーターの影響を強く感じさせる演奏でした。デビュー当時はテナー、アルト、ソプラノ、バスクラ、フルートと何でもこなすマルチ奏者でしたが、徐々にメインの楽器はテナーとソプラノに絞られてきたようです。
 90年の後半よりその演奏にはジョー ヘンダーソンやジョージ アダムスの匂いが感じられるようになってきました。ですがこの頃でもいまだ、クリス ポッターの個性が確立されているとは言えない演奏内容でした。
 2000年を迎えて彼はだんだんと演奏におけるアイデンティティを確固たるものにしてきたようです。ここにあげたヴィレッジ ヴァンガードでのアルバムでは、今までに上げたミュージシャン以外にも様々なミュージシャンの研究とその消化が聴いて取れます。中でも印象的なのはジョニー グリフィンばりのうねりをものにしていることでした。
 それらの様々の要素が有機的に組み合わされ、そして場所に応じて自由自在に使い分けられていることがわかります。それに加えてホーン奏者の魅力であるその音色がよりテナーらしく逞しくそしてスモーキーなニュアンスも手に入れたようです。ここにいたりクリス ポッターは一人の完成されたジャズミュージシャンとしてのステップをクリアしたように思います。
 ポッターは又、コンポーザーとしても中々の才能を持っていて、このアルバムで聴ける"Okinawa(沖縄)"ではその作曲の冴えを聴くことができます。

 上手なジャズミュージシャンはたくさん居ますが、真に個性的なミュージシャンは早々多くはありません。そんな中これからの成長も大いに期待させてくれるクリス ポッターの活動は私にとって要注目となっています。
 
 


この記事に掲載のアルバム

「リフト~ライヴ・アット・ヴィレッジ・ヴァンガード」 クリス ポッター

2006年07月31日 埋もれたCD紹介 トラックバック:0 コメント:1

ミュージシャンとか早いことでしょう
sonnyたちが、沖縄で広いゴードン夫人とか、テナーとかを期待しなかったよ。

2006年08月04日 BlogPetのsilver URL 編集












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