平安の響きへと

"Yarona" Abdullah Ibrahim (Tip Toe)
70年代の初頭あまたのジャズ喫茶が全国にあったころ、爆発的なヒットを記録したアルバム「アフリカン ピアノ」。その為ダラー ブランドと言えばお定まりのようにその作品が挙げられます。日本のジャズ喫茶のみならず世界中の音楽愛好家に新鮮な驚きを持って受け入れられたのだと思います。
ご存知の方にはもう言わずもがなですが彼は、欧米人ではなく南アフリカ共和国出身の黒人ミュージシャンです。その彼がとても洗練された語り口でソロピアノのジャズアルバムをものにしたのですから、当時の人たちにとってはその衝撃はすさまじいものだったのではないでしょうか。このアルバムがこれ以降に起こったソロピアノブームの嚆矢と成ったのは間違いないと思います。
彼のピアノは実に不思議で多彩な要素で音楽を構成していきます。
熱い情熱・冷徹な知性 破壊的な衝動・創造する力
大地の香り・洗練性 怒り・祈り
こうやって並べてみればとてもひとつの曲の中にこれらのすべてを取り入れて作品として造り上げることなど想像もつかないだろうと思います。しかし彼の作品を一聴いただければ即座に納得いただけると思います。
特徴的なのはミニマルミュージックのようにひたすら打ち返す波のような左手のライン。その上にテーマが変奏曲のように進展していく様は大きな物語が語られていくような想いがします。セロニアス モンクやエリントンとの共通点が言われますが、紡ぎだされた曲はほかにたとえる人の無いダラー ブランドの世界があります。
ここに紹介しているアルバムは95年にニューヨークのスイート ベイジルでのライブ録音です。ドイツ盤ということもあってか名エンジニアのデビット ベイカーが少しエコーを効かしピアノの透明感を強調した録音になっています。しかしいつもながら注文どおりの録音に仕上げる彼の職人技には感心します。
「マンネンブルグ」、「アフリカン マーケット プレィス」、「ティンティンヤナ」といったダラー スタンダード。彼をこの世に出してくれた敬愛するエリントンに捧げた「デューク88」(88年作曲とピアノの88キーにもかけているのでしょう)。この曲のテーマはちょっと面白くてエリントン スタンダードである「ジャスト スクーィズ ミー」や「イナ センチメンタル ムード」などが見え隠れします。
これらの曲を材料としながらサポートのドラムス、ベースと共にスケールの大きな物語をアブダラー イブラヒムがゆったりとメドレー形式で語っていきます。いつの日からかダラーはアブダラー イブラヒムという回教名を名乗るようになっています。
25年の歳月の賜物でしょう。かの「アフリカン ピアノ」に比べ自信や誇り、満足感といったものがその演奏からは伺えます。今でも万全とは言えませんが南アフリカもいく分かの平安を得つつあります。そのためか彼のピアノからは祈りと静謐といったものが強く聴こえてくるような気がします。
この作品を聴くたびにたゆまぬ努力を重ねてきたであろう彼の人生を思います。大げさに言えば人生は無駄ではないなという大きな安らぎを彼の音から聴いているといってよいと思います。
P.S.
いつもいつも思っていることなのですが、この様な素晴しい作品をこれからジャズ聴いてみたいと思っている人にお薦めいたします。
また50年60年のブルーノート、プレスティッジ、リバーサイドなどの名盤で満足し、ジャズは終わったとお思いの方にも聴いてみていただきたいなと思います。
ジャズの大きな世界の一端でも感じていただければとても嬉しいです。
この記事で紹介したアルバムです
Yarona